『ふたりの世界の重なるところ』付記の付記

 昨年末、『ふたりの世界の重なるところ』という本を月曜社から出していただきました。

 この本がどういう本かひとことで説明するのが難しくて、相手によって「イタリアの出版社ボンピアーニの創業者の娘さんの回顧録についてのエッセイ」とか「イタリア文学関係のエッセイ」とか「イタリア文学と哲学についての」だとか「詩と小説についての」だとか「20世紀ヨーロッパの日本でこれまであまり知られてなかった作家たちが出てくる」だとか、ついつい説明ぶりを変えてしまいます。

 今回は、そのひとことで言いがたい本の内容ではなくて、形式的な特徴について少し説明をしてみたいと思います。

 

 この本を書きながら思っていたのは、研究者や文学の専門家でない人も読んでみようと思うような本にしたい、ということでした。日々さまざまな営みをする人たちの生活に入り込むような文章にしたい、とはいえ、扱う内容を誰にも親しみ深いものとしてしまったら本末転倒。書き方で工夫をできないかと思いました。

 書き方、というと文体の話になりそうですが、そしてたしかに文章の書き方についてもこだわったことはありますが、もっと見た目にすぐわかるような特徴が本書にはあります。それが「付記」です。

 書きながら、ここには註をつけたほうがいいな、と思うときがたびたびあったのですが、でも註をつけると専門書のような雰囲気になってしまいそう、本文の印象は柔らかいものにしたい、どうにかできないか、と頭を悩ませました。その結果、註にしたらよさそうなことを章末にたんに箇条書きにしてみたのです。そのとき註のような本文に対応する番号をつけませんでした。さらには、本文に対応するところが明確になくても、文章を書きながら思いついたこと、話はそれるけど話したいことも章末に箇条書きで加えました。するとだいぶ箇条書きの項目が増えました。

 本文よりも饒舌なくらいの箇条書き群。原稿を書き終え、最後にこのまとまりをなんと名づけるか迷った末、付記としたのです。

 

 さて、その付記に書いたことですが、たとえば、マンガネッリの作品Hilarotragoediaの読み方を娘さんのリエッタさんに確認した、というものがあります。8行にわたって経緯を示したもので、付記の中では比較的長い方です。しかしこれでも事実をだいぶ圧縮していて、実はけっこうな長旅でした。

 まず、月曜社の小林さんから、Hilarotragoediaのカタカナ表記は「ヒラロトラゴエディア」で問題ないかとの確認がありました。特にそのgoeの部分を「ゴエ」という表記に置き換えることでよいのかという確認でした。とおいむかし、大学でラテン語の授業を受けた記憶ではヒラロトラゴエディアでよいはず。しかしあの頃さして熱心に勉強したわけでなかったことを思うと不安になり、あらためてラテン語の文法書にいくつかあたってみると、oeについては、「オエ」とするもの、「オェ」とするものがありました。ではどっちにするか。こういう場合はネイティブに確認するのが常套手段ですが、ラテン語ネイティブという人はもはやこの世には存在していないわけで、するとマンガネッリがどう発音していたかに依拠するのが次善の策だと思いました。それでYouTubeの動画や、ラジオ番組のアーカイブから、Hilarotragoediaの語が発音されているものがないかと探していくと、マンガネッリ本人のものは見つからなかったのですが、ラジオ番組でDJが発音している音声データ*1と、文芸評論家がこの作品の解説をする音声データ*2が見つかりました。しかしそれらの発音はヒラロトラゴエディアでも、ヒラロトラゴェディアでもなかったのです。どうやらヒラロトラジェディアと発音しているようなのです。

 

 ラテン語のtragoediaは「悲劇」という意味で、イタリア語のtragediaにあたります。イタリア語のtragediaをカタカナ表記するとトラジェディアになります。つまり、ラテン語の単語であるにも関わらず、わたしがみつけた音声データではイタリア語の語として発音されているという状況のようです。うーん、マンガネッリ本人もそんな風に発音していたのかなぁ。そうとは思えないなぁ。やはり本人の音声を探したい。

 そこでダメ元で、ボローニャの市立図書館サラ・ボルサにレファレンスを依頼してみました。世界中の多くの公立図書館では、市民からの質問を受けて、図書館の資料を使って回答をするレファレンスサービスというものを行っています。今回探しているのは音声あるいは動画資料なので、図書館へ問い合わせてもダメだろうなと思いつつ、念の為おこなってみました。ウェブフォームから「ジョルジョ・マンガネッリが、Hilarotragoediaという自分の作品のタイトルを発音している音声データを探しています。所在にお心当たりがあれば教えてください」と質問したのです。

 すぐに返事がありました。「サラ・ボルサは、一般の読書のための図書館なので、アーカイブ資料は所蔵していません。Hilarotragoediaに関するマンガネッリの動画資料などは見つけられませんでした」と。やっぱりね。しかし、続きがありました。「パヴィア大学にジョルジョ・マンガネッリの手稿を集めたセンターがあるので、そちらにお問い合わせください」と。そしてセンターに所属すると思われる研究者のメールアドレスがついていました。

 え! と驚きました。こんなふうに研究者の連絡先を教えてもらえるとは。そしてさっそくそちらに連絡してみますと、「自分ではわからないから、フランクッチ教授とマンガネッリの娘さんのアメリア・マンガネッリさんに訊いてみてほしい」との返事があり、CCにお二人の連絡先がありました。こうして、お二人にお尋ねしてマンガネッリ本人がどのように発音していたかを確認することができたのでした。どのように発音していたかは、『ふたりの世界の重なるところ』p.58でご確認ください。

 以上、付記の付記でした。

 

 

*1:

Seminario su Hilarotragoedia di Manganelli 冒頭から7秒あたりhttps://francescomuzzioli.com/2021/04/29/seminario-su-hilarotragoedia-di-manganelli/ (last access on 2024.1.3)

*2:

Manganelli 100  冒頭から8分56秒あたり

https://www.raiplaysound.it/audio/2022/11/Pagina-3-del-15112022-01692ce6-157c-452d-b1fe-6ca1e49ea231.html (last access on 2024.1.3)