イタリア語で読むロシア

 今年6月、ロシア人ジャーナリストのエッセイにかんする次のツイートを目にした。

 

 「わたしの愛する国」とは愛国心を感じさせるタイトルだが、本国ロシアで刊行できないからには、内容はきっと今のロシアを批判するようなものなのだろう、と推測した。昔大学の授業で、ソ連の作家パステルナークのドクトル・ジバゴが、やはり本国で刊行されずに、イタリアの出版社フェルトリネッリから刊行されたと先生が話していたことを思い出し、イタリアやるなぁと思いながらどんな本なのか調べた。

 イタリアではEinaudi社からLa mia Russia (私のロシア)のタイトルで2023年4月に刊行されていた。副題は「失われた国の歴史」。

 

 まずは、編者、翻訳者として6名もの名があがっていることに目をひかれる(編者:Claudia Zonghetti、翻訳:Maria Castorani, Martina Mecco, Riccardo Mini, Giulia Sorrentino, Francesca Stefanelli)。急いで刊行するために人手を要したのだろうか。

 著者のエレーナ・コスチュチェンコさんは1987年生まれのジャーナリスト。新聞社ノーヴァヤ・ガゼータで働いている。ノーヴァヤ・ガゼータといえば編集長がノーベル平和賞を受賞し、政権におもねらない、というくらいの知識は私にもあり、そこで働くジャーナリストの文章がこのタイミングで本になったということに興味を持った。じっくり読むには紙がいいが、急いで読んだ方がいいような気がしてイタリア語版の電子書籍を購入した。

 エレーナさんの最初の記憶、3歳か4歳のときの記憶から始まる。自分のほうに屈んでいる人たちの姿。5歳のときに亡くなったお祖母さんの姿。そしてテレビ。仕事から帰ってきた母がテレビをつける。ニュース番組は嫌いだった。叫ぶ人たち、歩く人たち、同じトーンで話すジャーナリストたち。何を言っているのかわからなくて嫌いだった。母はとても疲れた様子で黙って見ていた。私はじょじょにニュースの内容を理解しはじめる。ある日、母が、かつてはソ連と呼んでいたが、今はロシアというのだと教えてくれる。ソ連時代は良かった、食べるものは豊かにあったし、みんな優しかった、とも。後年著者は、ソ連時代の母は化学者として研究所で働いていたが、ソ連崩壊後に給与の支払いが止まり、保育園で掃除などをして家計を支えるようになったことを知る。

 このように、エレーナさんの思い出が平易な言葉で語られる。「ソ連崩壊」を歴史的な事件としてしか知らなかった私は、初めてそれを自分の経験として語る言葉に触れて、ロシアが少し近くなったような気がした。読み進めると、著者があるとき偶然「ノーヴァヤ・ガゼータ」の新聞を購入し、これまでテレビでは見たことのないようなチェチェンについての記事に衝撃を受け、その記事を書いたアンナ・ポリトコフスカヤの名前を覚え、地元の図書館で彼女の書いた記事をすべて読み、そしていつか「ノーヴァヤ・ガゼータ」で働こうと決めたことを知った。

 アンナ・ポリトコフスカヤ

 名前に覚えがあり、考えてみると、そう、最近邦訳が刊行されたイタリアのマンガがまさにこの女性を描いたものだったと思い出し、エレーナさんの本を中断して、仕事帰りにジュンク堂池袋本店に寄って、イゴルト著『ロシア・ノート』(栗原俊秀訳、花伝社、2023年)を購入し、読んだ。

 同じくノーヴァヤ・ガゼータのジャーナリストだったアンナ・ポリトコフスカヤさん。チェチェンの紛争を取材し、歯に衣着せぬ記事を書き、2006年に自宅アパートで殺害された。マンガだから読みやすいだろうと気楽な気持ちで読みはじめたことを後悔した。後悔しながら読み通した。そしてエレーナさんに本に戻った。

 

 エレーナさんのエッセイとアンナさんについてのマンガ。この2冊の中に現れる、死の多さに、何をどう考えればよいのかわからなくなった。人が生きている間に「知っている人が殺される」ということをこんなにもたくさん経験してよいのだろうか。アンナさんの周りにいる人たちは<アンナの身にはなにも起きない>と信じていたそうだ。しかしアンナさんは殺された。エレーナさんは大丈夫なのだろうか。

 エレーナさんが無事でありますように、そしてエレーナさんの本が邦訳されますようにと願うようになった。そして先日、彼女の名前をネットで検索すると、情報が見つかった。私の願いのうちの一つが叶えられ、もう一つは叶えられなかったことがわかった。本ブログの冒頭に掲載したツィートの主の高柳聡子さんが、エレーナさんの近況が綴られたエッセイを翻訳し、オンラインで掲載しているのだ。

 

 この記事によると、エレーナさんは、ロシアの侵攻後ウクライナに向い、現地で取材中に自分の殺害が計画されているという情報を得て、マウリポリ取材を断念し帰国しようとすると、今度はロシアに戻る許可を得られず、ベルリンに移住をすることとなったそうである。ドイツ国内で取材を行っているある日、ひどい頭痛と発汗に襲われ、腹部も痛みだし、病院にかかり、何度かの診断を経た結果、医師から薬物を盛られた可能性を示唆された。エレーナさん自身は、そんなことはありえないと否定したが、心の中ではその可能性を認めているようだ。命は取り留めたものの、しばらく文章を書くことすらできない日々を送っていたようだ。ロシア本国から離れても無事ではいられない。私の不安は的中してしまった。しかし、記事の最後に、エレーナさんの著書が、高柳さんの翻訳で2024年刊行予定とあった。私の願いのうち、邦訳の刊行については叶えられそうだ。

 ところで今日は、上記イゴルトの作品を含め、多数のイタリアマンガの翻訳をされている栗原俊秀さんが青山ブックセンターのイベントに登壇されるそう。このところ完全に出不精だったが、行ってみようと思う。直前まで申し込みができるるようです。

https://aoyamabc.jp/collections/event/products/11-5-italycomic