イタリアの新刊 12月その二

 恒例の、妹とふたりでの二日がかりのおせち作りはなんとか終わった。最盛期の三分の二ほどの品数におさえたので一日目は早めに切り上げてのんびり。二日目の今日、煮物類に思った以上に時間をとり、お重につめたら、もう夜の七時近くだった。伊達巻きが生っぽかったり、のしどりが焦げかけたり、今年もいろいろ課題あり。

 しかし、こうも寒くない大晦日だと、作ったものを冷蔵庫にしまわないと腐ってしまいそう。去年までは玄関など家のはしっこに置いておけば大丈夫だったのだが。今後おせちというものを見直さなくてはならない日がやってくるのか。

 今年最後の新刊情報。

 

 

Gobbo Mariacristina, Linda Chittaro e la Galleria dello Zodiaco(リンダ・キッタロとガッレリーア・デッロ・ゾディアコ), Bulzoni, 1 ottobre 2023

少し前の刊行だけどおもしろそうな本。

1942年11月ローマにオープンしたガッレリーア・デッロ・ゾディアコ という画廊と、その開設者リンダ・キッタロ (1912-1987)という女性についての初めての広汎な研究書。キッタロは美術商であり、歌手、翻訳家、舞台美術家、衣装デザイナーであった人物。50年代、60年代ローマの文化サークルの推進役だったそう。ゼんぜん知らない人物、画廊だけれど、Galleria dello zodiacoでググってみると、デ・キリコやサヴィニオの作品が展示されていたという情報が見つかる。

https://bulzoni.it/it/catalogo/linda-chittaro-e-la-galleria-dello-zodiaco.html

 

Adriano Sofri, C'era la guerra in Cecenia(かつてチェチェンで戦争があった), Sellerio, 24 ottobre 2023

著者のアドリアーノ・ソフリという人のことをなんと説明するのが適切なのかわからないが、1942年生まれのジャーナリストであり、活動家であり、1972年に起きた警察官の殺害事件の黒幕として告発されたこともある知識人、と言えばよいか。この事件の際には、友人のカルロ・ギンズブルグが裁判記録を読み、『裁判官と歴史家』(邦訳は筑摩書房から)を書いた。

本書はそのソフリが20年以上も前に、紛争の最中のチェチェンに取材で訪れたときの日記をまとめたもの。関係者に危険が及ぶことへの懸念から公開を控えてきたが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、公開を決断。

Monica Barni e Andrea Villarini (A cura di ), Intorno al senso(意味をめぐって), Quodlibet, 22 novembre. 2023

副題「言語哲学言語学、教育的言語学について」。

言語学者マッシモ・ヴェドヴェッリの教え子らが、師にささげる記念論文集。ヴェドヴェッリは、外国人のためのイタリア語試験CILSの創設者。また、言語教育ならぬ「教育的言語学linguistica educativa」の提唱者とのこと。

Massimo Arcangeli, Il generale ha scritto anche cose giuste(大将は正しいことも書いた), Bollati Boringhieri, 28 novembre 2023

副題は「常識という偽の真実」。

知らなかったのだが、2023年8月にイタリア軍の大将Roberto Vannacciという人物が自費出版したIl mondo al contrarioという本が、一時イタリアでだいぶ話題になっていたそう。同性愛、人種、エコロジー、家族についての持論を展開したもので物議を醸した。本書は、Il mondo al contrarioのテクストを丁寧に分析し、Vannacciの思想の持つ危険性を明確に示そうとするものだそう。

Lorenzo Tommasini, Educazione e utopia(教育とユートピア) , Quodlibeto, 10 gennaio 2024

副題「学校、大学の教員としてのフランコ・フォルティーニ」。

詩人、翻訳家、文芸評論家であったフランコ・フォルティーニの教育者としての側面に光をあてた著作。フォルティーニには、60年代から80年代にかけて、学校や大学で教員をしていた。この時期は、作家の創作活動がもっとも活発だった時期にも重なる。シエナ大学で文芸批評史も教えていたそう。シエナ大学といえばタブッキも教えていた。

PDF版を無料でダウンロードできる。

 

Alice Iacobone, Per crescita di buio(闇の広がりのために), Quodlibet, 10 gennaio 2024

副題「ジュゼッペ・ペノーネの美学と詩学」。

アルテ・ポーヴェラの代表的作家の一人、ジュゼッペ・ペノーネの創作の変遷を分析する。発表の時期の離れた作品のあいだに関係を見出す。

著者はジェノヴァ大学の博士課程に在籍中。

 

«Vesper» No. 9 Autunno-inverno 2023

ヴェネツィア建築大学監修の建築・美術雑誌Vesperの第9号。特集テーマはL’avversario(敵)。

ロベルト・エスポジトの論考「敵」や隈研吾へのインタビュー記事「Digital Crafts. The Other Modernity」などを収録。

 

日本語からのイタリア語訳

Osamu Dazai, Lo squalificato Condividi, Feltrinelli, 2023, 14 novembre 2023

太宰治人間失格』の新訳。翻訳は Maria Cristina Gasperiniさん。『人間失格』については、去年Antonietta Pastoreさんの訳がMondadoriから出たばかりなのにまた新訳が刊行されるとは驚き。調べて見れば、『人間失格』のイタリア語訳はこれで三バージョン目。ちなみに、と調べてみると、『斜陽』は四人の翻訳家の翻訳が! 太宰治著作権が切れてるからか。翻訳家たちが競うように好きな作家の作品を訳しているようで、楽しい気持ちになる。


 

 

イタリアの新刊 12月その一

加藤典洋さんの『テクストから遠く離れて』を読みはじめ、この方文芸評論家という肩書きなのに、小説家の小説の読み方をする人だ! と興奮しながら第I章を読み終えて、第II章で村上春樹の『海辺のカフカ』を論じるところに至り、『海辺のカフカ』を読んだことがないので典洋さんを中断して村上春樹へ寄り道しようと思ったけれど、3年前からぼちぼちと村上春樹をデビュー作から順を追って読んでいくということをしていて『ノルウェイの森』までを読んだところなので、『海辺のカフカ』に行くにはあと『ダンス・ダンス・ダンス』『 国境の南、太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』を読まなくてはならず、急ぎ近所のお気に入り古本屋さん「青いカバ」で『ダンス・ダンス・ダンス』を買ってきて読みはじめたら猛烈おもしろくて、しかしこのままだと典洋さんに戻るのはいつになるのだろう・・・という12月。

12月前半に気になったイタリアの新刊など。

 

 

Giuseppe Antonelli (a cura di), La vita delle parole, Mulino, 27 ottobre 2023.

副題は「歴史と社会のイタリア語辞典」。

約800ページの大著。第1部「言葉と歴史」、第2部「言葉と社会」に分かれる。第1部には昨年亡くなった言語学者Luca Serianniの論考「イタリア語の語彙」のほか、ラテン語起源の語、ギリシア語起源の語、フランス語起源の語など、外国語起源のイタリア語の語彙について、それぞれ異なる研究者による論考が収録される。第2部には専門用語や、家族だけて通じる語語(Lessico familiare!)や慣用句についての論考が収録。これは、すぐに読まなくても、家に置いておくべき一冊という気がする。

 

Adriana Cavarero, Donne che allattano cuccioli di lupo(狼の子に乳をやる女たち), Castelvecchi, 24 novembre 2023

副題「超母性のイコン」。

これまで母の身体は哲学の無関心にさらされてきた。本書は、母の身体の、輝かしく牧歌的な伝統的表象ではなく、その暗い側面を考察する。女性のみが持つ出産とピュシスの、そして妊娠とゾーエーの間の絡み合いから、「超ー母性」というものが浮かび上がる。

著者はヴェローナ大学哲学科の教授を経て、現在はHannah Arendt Center for Political Studiesの科学委員会の委員長を務める。ニューヨーク大学やカリフォルニア大学の客員教授を務めた経験も。

イタリアは、女性哲学者が日本に比べて断然多い、と思う。

 

Alessandro Barbano, La gogna(さらし台), Marsilio, 5 dicembre 2023

副題は「ホテルシャンパーニュ、正義の翳った夜」。

盗聴をテーマとしたノンフィクション。イタリア史上もっとも世間を騒がせた盗聴事件の分析を通じて、盗聴と民主主義の関係について迫るというもの。取り上げられているのは2019年5月に起きた「ホテルシャンパーニュの夜」という名で知られている事件で、ローマの新しい検事の任命に関して賄賂を受けた人物の会話が、ソフトウェア「トロイの木馬」によって盗聴されたそう。

 

Giulio Cavalli, I mangiafemmine(女喰い), Fantango, 14 novembre 2023

架空の国DFを舞台にした三部作の第三巻。

夫に、恋人に、元カレに女が殺されるという事件が伝染病のように流行する世界。大統領候補のValerio Corti は、女はどうせ死ぬのだから、とこの状況を無視しようとする。しかし世論は説明を求めるようになり……。女殺しの伝染病はほんとうに存在するのか。ディストピア小説

DFというのは、チリの作家ボラーニョが、作品内でメキシコシティのことをDistrito Federalの略でDFと呼ぶことから。

 

Anna Maria Matteucci, Nicola Matteucci, mio fratello, Mulino, 10 novembre 2023

副題「記憶、書簡、未発表原稿」
思想家であり、出版社Mulinoの創設者の一人でもあったNicola Mattucciについて、建築史家である妹のAnna Maria Matteucciが思い出や手紙などから語る回想録。

 

 

日本の本からのイタリア語訳は今月も古いものから新しいものまでいろいろありました。

Takase Junko, Le delizie della signorina Ashikawa, Marsilio, 14 novembre 2023

高瀬隼子さん『おいしいごはんが食べられますように』のイタリア語訳。
翻訳はAnna Specchioさん。

 

Katai Tayama, Il maestro di campagna, Marsilio, 15 dicembre 2023

田山花袋田舎教師』のイタリア語訳。

翻訳はPierantonio Zanottiさん。

 

Edogawa Ranpo, Il demone dell'isola solitaria, Atomosphere libri, 24 novembre 2023

江戸川乱歩『孤島の鬼』のイタリア語訳。

翻訳はDiego Cucinelliさん。

 

 

『ふたりの世界の重なるところ』今朝の「朝日新聞」一面に広告が掲載されました

 11月に月曜社から刊行されました『ふたりの世界の重なるところ』、本日の朝日新聞の朝刊一面に広告を掲載していただきました。あの広告欄をサンヤツと呼ぶということを学びました。

 朝ごはんを食べながら眺めるのを楽しみにしている(今わたしがとっているのは朝日ではないのですが)あの欄に自分の名前を見るのは不思議な気分。とはなりませんでした。自分と同姓同名の偽名の人物が書いた本を見て、「この本、おもしろそう」と思った、というのが私の感覚に近い。マンガネッリのいう「同一偽名」の異質性はこのことなのか。

 

 読んでみようと思った方に。amazonでは「一時的に在庫切れ」という状態がずっと続いています。しかしもちろん売り切れというわけではありません。大きめの書店には置いてあります。ご近所の書店で注文していただくこともできます。わたしがこの本を書くきっかけは、ジュンク堂池袋本店での本との出会いにありました。ときには本屋さんに足をのばすのもおすすめですよ。

十二月の蚊

 なにかの比喩ではなく、蚊がいる。十二月の夜に、である。

 寝床につくと、プーンという懐かしい音がして、ガバッと起きて目の焦点を調整する。すると姿を捉えることができた。全盛期に比べると、動きのもっさりとしたやつである。こちらもあのころに比べてもっさりした動きでよけながら、あのころの殺意を蘇らせることもなく、電気を消して、眠る。

イタリアの新刊 11月その二

 長い夏のせいなのか、年のせいなのか、調子の悪い11月だった。病院に行っても原因わからず。でも後半、養命酒を飲みはじめて元気を取り戻す。座り方にも不調の原因がありそうと、仕事中の姿勢にも気をつけるようになった。家にいるあいだはできるだけ寝転がって過ごす所存。書くのも読むのも寝ながら行う。

 11月後半に気になったイタリアの新刊など。このところまたエイナウディのウェブサイトが開けないので、エイナウディの本はibsにリンクをはりました。

 

アレッサンドロ・バリッコ著『アベル(Abel)』Feltrinelli, 2023/11/7

バリッコ8年ぶりの小説。26歳のアベル。彼が二人の男を二つの拳銃で同時に仕留めるところから始まる西部劇のような小説らしい。意外。

この作品についての特設ページがあって、バリッコ自身が作品執筆の経緯を語っている。数年前にふと、書くのをやめたらどうなるだろうとか思い、書く仕事をすべて中止した。しかしある日、心の中に何かが欠けているのを感じた。そして、書くことは「魂の運動」「瞑想するための隠れ家」「秘密のカーニバル」であることに気づく。散歩から帰ってパソコンを開き、書きはじめた。焦らずゆっくりと、終わらせることを考えずに書いた。息子や恋人や友人たちにときどき読み聞かせた。するとじょじょに出版するのが当然のことのようになり、そして出版されたとのこと。

うーん、さすが有名人、という感想しか出てこない。まあ、経緯に関わらず、作品はおもしろいかもしれない。

 

フランコ・フォルティーニ著『エイナウディのための意見書(Pareri editoriali per Einaudi)』 Quodlibet, 2023/11/15

1917年生まれ、詩人であり、評論家であり、翻訳家であったフォルティーニは、エイナウディやフェルトリネッリなどイタリアの代表的な出版社のアドバイザーでもあった。本書は、エイナウディの仕事としてフォルティーニが書いた読書カード(原稿を読み、出版すべきかどうかの判断をするときの参考として作成するメモ)を集めたもの。ナタリア・ギンズブルグ、イタロ・カルヴィーノ、そしてジュリオ・エイナウディらへの手紙という形で書かれたものが含まれるそう。

 

ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオ著『繊細な年(L’età fragile)』Einaudi, 2023/11/28

邦訳『戻ってきた娘』の著者の新刊。

30年前のある晩、複数の女性たちが行方不明になるという事件が起きた。この事件を免れたルチーアは50代を迎え、今は娘アマンダとの難しい関係に直面している。アマンダは明るい未来を夢見てミラノに旅立ったものの意気消沈して故郷に戻ってきたのだった。本作も難しい境遇の女性たちの生き方に焦点を当てた作品のよう。

 

マウリツィオ・クッキ編『イタリアの新しい詩人たち 7(Nuovi poeti italiani.  Vol. 7)』Einaudi, 2023/11/28

イタリアの若い世代の詩人たちのアンソロジー第7巻。今回は1968から1973年のあいだに生まれた5人の詩人たち。取り上げられた詩人は、Silvia Caratti, Massimo Dagnino, Mario Fresa, Annalisa Manstretta, Wolfango Testoni。一人も知りません!

 

日本の本のイタリア語訳

Haruki Murakami, Kafka sulla spiaggia. Ediz. speciale, Einaudi, 2023/11/28

2013年にイタリア語訳の出た村上春樹海辺のカフカ』の特別版。村上春樹自身による未公開の序文付き、とのこと。イタリア語版のために書かれたのか。翻訳はGiorgio Amitranoさん。

 

Keigo Higashino, Delitto a Tokyo, Piemme, 2023/11

東野圭吾さん『白鳥とコウモリ』のイタリア語訳。翻訳はStefano Lo Cigno さん。

 

そしてめずらしく、イタリア語からの邦訳本がたくさん出てます。

マリオ・プラーツ著『ギリシアへの旅』 ありな書房、2023年10月23日

1931年3月から4月にかけて、ギリシアを旅したプラーツのエッセイ集。翻訳は伊藤博明さん、金山弘昌さん、新保淳乃さん。

 

ダリオ・アルジェント著『恐怖』フィルムアート社、2023年10月26日

イタリアホラー映画の巨匠ダリオ・アルジェントの自伝。翻訳は野村雅夫さん、柴田幹太さん。まだ立ち読みでぱらぱら見ただけなのだが、内容よりも文章そのものにたまげた。日本人が日本語で書いたような文章で、翻訳とは思われなかった。だいぶ翻訳が練られているように思う。これは、翻訳の勉強としても読みたい本。しかし残念ながら私は彼の作品をまだ一つも観たことがない。映画を観てから読むか。

 

ジュリア・カミニート著『甘くない湖水』早川書房、2023年11月7日

2021年カンピエッロ賞受賞作品。翻訳は越前貴美子さん。原書L'acqua del lago non è mai dolceが刊行されたとき、acqua dolceには「淡水」「甘い水」という二つの意味があるから、タイトルはどう訳すのがいいかなぁとぼんやり考えていた。邦題はシンプルでいいなと思いました。


ヴェーラ・ポリトコフスカヤ 、サーラ・ジュディチェ著『母、アンナ ロシアの真実を暴いたジャーナリストの情熱と人生』NHK出版、2023年11月17日

この作品、11/5 青山ブックセンターのイタリア・コミックについてのイベントで存在を知り、刊行を待っていた。購入して読みました。

2006年に暗殺されたロシア人ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤについて娘のヴェーラさんが書いたエッセイ。私の勘違いで、ロシア語の原文からイタリア語訳され、それから重訳して日本語版が出たのだと思っていたが、訳者のあとがきを読み、事情は違うことが判明。ヴェーラさんと、イタリアのジャーナリストのジュディチェさんの共著で最初からイタリア語で刊行されたそう。日本語版の翻訳は関口英子さんと森敦子さんによる。読んでいろんなことを思った。

・自分がアンナと同じ時代にロシアに住んでいたとしたら、私はアンナ・ポリトコフスカヤという記者の書いた文章を信じられただろうか、ロシア政府を疑うということができただろうか。アンナは「モスクワの錯乱者」と呼ばれていたそうだが、私も彼女をそのように呼んだりしなかっただろうか。声に出すことはしなかったかもしれないが、心の中でそう呼んだかもしれない。遠くから、あとから、アンナ・ポリコトフスカヤを称賛することは簡単だ。彼女のように生きるのが難しいとしても、彼女を同時代・同地において支持することができるようになるにはどうしたらよいかは切実に考えなくてはならない。

・このところ、私はイタリアの本やマンガを通じてロシアのジャーナリストの存在について知ることが多い(【イタリアの本】イタリア語で読むロシア)。それは西洋的価値観を通じてロシアを見ているということであり、それこそがロシアを戦争に駆り立てたものであるとしたら、他の見方も知るべきなのだろうか。しかしそれはアンナ・ポリトコフスカヤを支持するということとどのように共存するか。

・歴史を無視した雑な話だが、本書の中で描かれるロシアとチェチェンの関係は、イスラエルパレスチナの関係に類似しているように思われる。そのロシアがイスラエルの攻撃を批判しているということの皮肉。全員が戦争に反対しているのに、戦争が起きているということの奇妙さ。

・著者の名前Veraはイタリア語で「真実」を表し、共著者の苗字Giudiceは「審判」を表す。真実と審判が書いた本。


 

イタリアの新刊 11月その一

 11月の前半に気になったイタリアの新刊本たち(11月より前に刊行されたものも含む)。

 こうやって海外の出版情報を調べていると、あれも邦訳されればいいなぁ、これも日本語で読めるようになればいいのになぁと思うわけで、そういうふうに思う人がほかにもいるんじゃないかなぁと期待するからこうやってまとめてるわけで、ノーベル文学賞の受賞作家の小説がこれまで邦訳されていなかったというときに、ノルウェー語の翻訳者がこの作家の翻訳企画を提案したのに出版社の判断で通らなかったということがかつてあったのかなぁ、いやそもそもノルウェー語を翻訳できる人が日本には少なすぎるんだろうなぁ、大学でも専攻できるところがないし、そういうことでいいのだろうか……もっとがんばろうよ! と思う方が、出版社にとっても翻訳者にとっても読者にとっても利するところが多いんじゃないか……と思う今日このごろ。

 

カルロ・フルゴーニ著『聖フランチェスコのプレセピオ(Il presepe di san Francesco)』il mulino, 2023/9/29

副題は「グレッチョのクリスマスの歴史」。

イタリアでは、クリスマスに、キリスト降誕の場面を人形で再現した模型を飾る風習がある。この模型をプレセピオとかプレセーペと呼ぶ、というのは知っていたが、聖フランチェスコラツィオ州の村グレッチェで最初に試みたというのは本書の紹介文を読んで初めて知った。聖フランチェスコの指示によれば、聖母もキリストも置かず、かいばおけと動物だけで再現をすることとなっていたらしい。聖フランチェスコの意図はどこにあったのか。著者は文献を精緻に読んでいくことで聖フランチェスコという人物に迫る。昨年亡くなった歴史家フルゴーニの新刊。遺作なのかな。

 

シルヴィア・モンテムッロ著『女の子(La piccinina)』e/o, 2023/10/4

タイトルのpiccininaというのは、若い女の子を意味する19世紀末に流行ったミラノの方言だそう。貧しい労働者の家庭に生まれた主人公のノラは1890年、5歳のときに画家のエミリオ・ロンゴーニの絵のモデルとなる。La piccininaと題されたその絵は、ロンゴーニの代表作となる。ノラの父は、物価高に対する抗議デモ参加中に殺される。成長したノラは、やがてイタリアで初めての女の子たちのストを率いることに。仕立て屋や繊維工場で働く若い女性たちを率いて抵抗運動を起こしたノラの日常が描かれた小説。

 

パトリック・ザキ著『自由という夢と幻想(Sogni e illusioni di libertà)』la nave di Teseo, 2023/10/13

2020年2月7日、留学先のボローニャから、カイロの実家に戻ったパトリック・ザキさん。数日の滞在の予定だったが、突然逮捕され、20ヶ月にわたって刑務所に勾留された。ザキさんは研究のかたわら、人権活動家としても行動していたそうで、ギリシャ政府は、フェイクニュースを流したという廉で逮捕をしたらしい。尋問、隔離、拷問……。ボローニャ市、ボローニャ大学、イタリア全土でデモが行われ、ザキさんはついに解放され、ボローニャに帰還。本書では、この間の経緯が記されているそう。日本でこの事件はとんど報道されていないのでは。


マウリツィオ・サラベッレ著『僕が生まれたときから(Da quando sono nato)』Quodlibet, 2023/10/18

知らない作家だし、2003年にすでに亡くなってしまっているのだけど、なんだか気になる。生前もよく売れた作家というわけではないようで、作家の公式ブログのバイオグラフィを見ると、若い時から執筆に意欲を持ち、書いた作品をさまざまな出版社に送るも、なかなか色良い返事はなかなかもらえなかったそう。アデルフィに送ったものの、2年待って、編集長のロベルト・カラッソから、うちの出版社には合わないとの答えをもらったなんてことも。本作は、生前未刊行だった三部作の第三部目。Patrizio Rhuggiという人物の誕生から、50%の可能性で訪れる死(?)までを描いた小説。よき意図のもとに動きはじめていつも失敗するピノッキオに着想を得た作品だそう。

 

ベルナルド・ザンノーニ著『ぼくのおろかな企て(I miei stupidi intenti)』Sellerio, 2023/11/7

2022年カンピエッロ賞を受賞したI miei stupidi intentiにイラストがついた。イラストレーターのロレンツォ・マットッティさんは、2022年に「シチリアを征服したクマ王国の物語」のタイトルで日本公開されたブッツァーティ原作の映画の監督。

 

ジョルジョ・アガンベン著『からっぽの頭(La mente sgombra)』Einaudi, 2023/11/7

え、またアガンベンの新刊、と驚いたが、今回はすでに刊行された作品を一つにまとめたもの。『涜神』『裸性』それから未邦訳のil fuoco e il racconto。言葉と思考は、それらを受け止めるための、空っぽの場所を必要とする。壁も障害もない場所。でもそれこそが珍しくてなかなか得ることのできないものである。というのも、人間の頭はいつも何かでふさがれていて、壁に囲まれているから。収録された三作品に共通するのは、頭をからっぽにして、場所を作るための訓練をしてくれるということ。

 

アンナ・バルディーニ、ジュリア・マルッチ編『見えない女(La donna invisibile)』Quodlibet, 2023/11/8

副題は「20世紀初めのイタリアにおける女性翻訳家たち」。

英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語などからイタリア語への翻訳を行った20世紀初めの女性翻訳家たちを取り上げた本。目次に出ている翻訳家たちの名前はこちら。

Ebba Atterbom (1868-1961)
Ada Salvatore (1878-1961)
Olga Malavasi Arpshofen (1879-?)
Lavinia Mazzucchetti (1889-1965)
Rosina Pisaneschi (1890-1960)
Alessandra Scalero (1893-1944)
Maria Martone (1900-1990)
Ada Prospero (1902-1968)
Natalia Ginzburg (1916-1991)
Gabriella Bemporad (1904-1999)
Giovanna Bemporad (1923-2013)

知らない人ばかり。唯一知ってるのは、ナタリア・ギンズブルグ。日本では小説家として知られているけれど、プルーストフローベールの作品の翻訳をした。この本は気になる。

ジョルジャ・サッルスティ編『ジェンダーと日本(Genere e Giappone)』asterisco, 2023/11

副題は「アニメとマンガにおけるフェミニズムクィアネス」。先月の新刊紹介で、il saggiatoreから出た日本マンガにおける女性論を扱ったIl cammino dei ciliegiを取り上げたけど、本書もまた同様のテーマを扱っているよう。こちらはイタリアのフェミニズムへの影響などに主眼がありそう。

 

アントニオ・スクラーティ著『ファシズムとポピュラリズム(Fascismo e populismo)』Bompiani, 2023/11/15

副題「今日のムッソリーニ」。

2019年にムッソリーニを主人公にした小説M. Il figlio del secolo(日本では栗原俊秀さん訳『小説ムッソリーニ 世紀の落とし子』のタイトルで河出書房から刊行)でストレーガ賞を受賞した著者による評論。現代におけるファシズムの再来という現象がテーマ。ファシズムは、暴力行為や人種差別的な発言という形ではなく、欧米で見られるポピュリスト政党の台頭に現れる。

アントニオ・モッレアーレ著『否定された歴史(Una storia negata)』Sellerio, 2023/11/21

副題「シチリアにおける資本主義の誕生」。

「永遠の封建主義」という偏見を持たれるシチリアに、産業革命のはるか昔、15世紀中頃から16世紀にかけて、資本主義とはっきり呼ぶことのできる経済システムが同等の経済体制が見られていたということを明らかにする。著者の何十年にわたる研究の集大成。在野の研究者か。


ナタリア・ギンズブルグ著, モンフェッリーナ・ミケーラ編『さいごにはうれしいこと(Una cosa finalmente lieta)』Edizioni di Storia e Letteratura, 2023/11/17

作家のナタリア・ギンズブルグは、政治活動にも積極的にかかわり、80年代には国会議員をつとめた。本書は、彼女の政治や社会に関する文章を集めたアンソロジー


日本語の本のイタリア語訳はまたまたたくさん。

Miyuki Ono, Donne da un altro pianeta, Atmospherelibri, 2023/10/13

2020年に刊行された”女性がセックス後に男性を食べないと妊娠できない世界になったら?”を描いた恋愛SF小説『ピュア』の翻訳。翻訳はAnna Specchioさん。

https://www.atmospherelibri.it/prodotto/donne-da-un-altro-pianeta/

 

Shuichi Yoshida, Rabbia, Atmospherelibri, 2023/10/27

映画かもされた『怒り』の翻訳。翻訳はStefano Lo Cignoさん。

https://www.atmospherelibri.it/prodotto/rabbia/

 

Yumiko Kurahashi, La fine dell’estate e altri racconti, Atmospherelibri, 2023/11/17

原作がはっきりしなかったが、おそらく『悪い夏』。短編集。翻訳はPaolo La Marcaさん。

https://www.atmospherelibri.it/prodotto/la-fine-dellestate-e-altri-racconti/

 

 

最後に日本の新刊からイタリア関係のもの。

上村忠男著『歴史をどう書くか カルロ・ギンズブルグの実験』みすず書房、2023年11月10日


 

 

イタリア語で読むロシア

 今年6月、ロシア人ジャーナリストのエッセイにかんする次のツイートを目にした。

 

 「わたしの愛する国」とは愛国心を感じさせるタイトルだが、本国ロシアで刊行できないからには、内容はきっと今のロシアを批判するようなものなのだろう、と推測した。昔大学の授業で、ソ連の作家パステルナークのドクトル・ジバゴが、やはり本国で刊行されずに、イタリアの出版社フェルトリネッリから刊行されたと先生が話していたことを思い出し、イタリアやるなぁと思いながらどんな本なのか調べた。

 イタリアではEinaudi社からLa mia Russia (私のロシア)のタイトルで2023年4月に刊行されていた。副題は「失われた国の歴史」。

 

 まずは、編者、翻訳者として6名もの名があがっていることに目をひかれる(編者:Claudia Zonghetti、翻訳:Maria Castorani, Martina Mecco, Riccardo Mini, Giulia Sorrentino, Francesca Stefanelli)。急いで刊行するために人手を要したのだろうか。

 著者のエレーナ・コスチュチェンコさんは1987年生まれのジャーナリスト。新聞社ノーヴァヤ・ガゼータで働いている。ノーヴァヤ・ガゼータといえば編集長がノーベル平和賞を受賞し、政権におもねらない、というくらいの知識は私にもあり、そこで働くジャーナリストの文章がこのタイミングで本になったということに興味を持った。じっくり読むには紙がいいが、急いで読んだ方がいいような気がしてイタリア語版の電子書籍を購入した。

 エレーナさんの最初の記憶、3歳か4歳のときの記憶から始まる。自分のほうに屈んでいる人たちの姿。5歳のときに亡くなったお祖母さんの姿。そしてテレビ。仕事から帰ってきた母がテレビをつける。ニュース番組は嫌いだった。叫ぶ人たち、歩く人たち、同じトーンで話すジャーナリストたち。何を言っているのかわからなくて嫌いだった。母はとても疲れた様子で黙って見ていた。私はじょじょにニュースの内容を理解しはじめる。ある日、母が、かつてはソ連と呼んでいたが、今はロシアというのだと教えてくれる。ソ連時代は良かった、食べるものは豊かにあったし、みんな優しかった、とも。後年著者は、ソ連時代の母は化学者として研究所で働いていたが、ソ連崩壊後に給与の支払いが止まり、保育園で掃除などをして家計を支えるようになったことを知る。

 このように、エレーナさんの思い出が平易な言葉で語られる。「ソ連崩壊」を歴史的な事件としてしか知らなかった私は、初めてそれを自分の経験として語る言葉に触れて、ロシアが少し近くなったような気がした。読み進めると、著者があるとき偶然「ノーヴァヤ・ガゼータ」の新聞を購入し、これまでテレビでは見たことのないようなチェチェンについての記事に衝撃を受け、その記事を書いたアンナ・ポリトコフスカヤの名前を覚え、地元の図書館で彼女の書いた記事をすべて読み、そしていつか「ノーヴァヤ・ガゼータ」で働こうと決めたことを知った。

 アンナ・ポリトコフスカヤ

 名前に覚えがあり、考えてみると、そう、最近邦訳が刊行されたイタリアのマンガがまさにこの女性を描いたものだったと思い出し、エレーナさんの本を中断して、仕事帰りにジュンク堂池袋本店に寄って、イゴルト著『ロシア・ノート』(栗原俊秀訳、花伝社、2023年)を購入し、読んだ。

 同じくノーヴァヤ・ガゼータのジャーナリストだったアンナ・ポリトコフスカヤさん。チェチェンの紛争を取材し、歯に衣着せぬ記事を書き、2006年に自宅アパートで殺害された。マンガだから読みやすいだろうと気楽な気持ちで読みはじめたことを後悔した。後悔しながら読み通した。そしてエレーナさんに本に戻った。

 

 エレーナさんのエッセイとアンナさんについてのマンガ。この2冊の中に現れる、死の多さに、何をどう考えればよいのかわからなくなった。人が生きている間に「知っている人が殺される」ということをこんなにもたくさん経験してよいのだろうか。アンナさんの周りにいる人たちは<アンナの身にはなにも起きない>と信じていたそうだ。しかしアンナさんは殺された。エレーナさんは大丈夫なのだろうか。

 エレーナさんが無事でありますように、そしてエレーナさんの本が邦訳されますようにと願うようになった。そして先日、彼女の名前をネットで検索すると、情報が見つかった。私の願いのうちの一つが叶えられ、もう一つは叶えられなかったことがわかった。本ブログの冒頭に掲載したツィートの主の高柳聡子さんが、エレーナさんの近況が綴られたエッセイを翻訳し、オンラインで掲載しているのだ。

 

 この記事によると、エレーナさんは、ロシアの侵攻後ウクライナに向い、現地で取材中に自分の殺害が計画されているという情報を得て、マウリポリ取材を断念し帰国しようとすると、今度はロシアに戻る許可を得られず、ベルリンに移住をすることとなったそうである。ドイツ国内で取材を行っているある日、ひどい頭痛と発汗に襲われ、腹部も痛みだし、病院にかかり、何度かの診断を経た結果、医師から薬物を盛られた可能性を示唆された。エレーナさん自身は、そんなことはありえないと否定したが、心の中ではその可能性を認めているようだ。命は取り留めたものの、しばらく文章を書くことすらできない日々を送っていたようだ。ロシア本国から離れても無事ではいられない。私の不安は的中してしまった。しかし、記事の最後に、エレーナさんの著書が、高柳さんの翻訳で2024年刊行予定とあった。私の願いのうち、邦訳の刊行については叶えられそうだ。

 ところで今日は、上記イゴルトの作品を含め、多数のイタリアマンガの翻訳をされている栗原俊秀さんが青山ブックセンターのイベントに登壇されるそう。このところ完全に出不精だったが、行ってみようと思う。直前まで申し込みができるるようです。

https://aoyamabc.jp/collections/event/products/11-5-italycomic