Mi casa es tu casa

 自転車でいつもの八百屋へ向かう。赤信号。大きな道路の横断歩道で止まる。

 ふと左手に目をやると、その大きな道路のわきに寄せてソファーが置いてある。ソファーには、男性が二人座っている。一人は脚を組んでスマホを眺め、もう一人はうたたね。車の行き来する大きな道路に、リビングが出現していた。

 よく見れば、ソファの横にはトラックが停められていて、どうやら配送員たちが、トラックからとり出したソファ(マイソファー?)で休憩中ということのよう。

 スペイン語のMi casa es tu casa(わたしの家はあなたの家。自分の家と思ってくつろいで、の意)を思い出す。

イタリアの新刊 2024年4月その二

4月26日夜。消灯。枕に頭を乗せて体を休ませると、プーンという懐かしい音がする。明かりをつけて、目を凝らすと、いる。たしか去年は12月になっても飛んでいたので、5ヶ月ぶりの再会。いない期間よりもいる期間の方が長くなってきた。もはや、季節の風物詩とは言えなくなりそう。

4月後半に気になったイタリアの新刊です。


Stefano Massini, Mein Kampf. Da Adolf Hitlerヒトラー我が闘争), Einaudi, 16 aprile 2024

『リーマン・トリロジー』の著者ステファノ・マッシーニの新作。

ヒトラーの『我が闘争』を題材にしたテクストだそう。でも紹介文からはどのようなものなのかはっきりとわからない。『我が闘争』の原文の一語一語を長年かけて分析、研究してきた成果だそうで、「呪われたテクストのバイオプシー(生体組織を採取して行う検査)」と紹介されています。よくわからないものの、販売禁止にするよりも、このように向き合う方が適切なのではないかと思った。

Edoardo Lombardi Vallauri,  Le guerre per la lingua. Piegare l'italiano per darsi ragione (言語の戦い:筋を通すためにイタリア語を従わせる ), Einaudi, 16 aprile 2024

英語の侵入との戦い、語彙や文法における性差別への戦い。このような場面でイタリア語を守るために戦うときの方法についての本。言語が私たちの思考法にどのような影響を与えているか、言語の機能について深く理解する必要がある。

著者はローマ・トレ大学の先生で、昨年Non capire il Giapponeという本をil mulinoから出していて、日本滞在経験をお持ちのよう。

 

Chicca Gagliardo,Quando ci scopriremo poeti nessuno potrà prenderci(詩人となれば誰にもつかまえられやしない), Hacca, 19 aprile 2024

どんな本なのかぜんぜんわからないが、気になるので、ここに記録しておく。エッセイや小説を書いてきた作家の久しぶりの作品だそう。これまでの作品も、今回の作品も、言葉そのものを大事にしているように思われる。「生まれ直すために、恐怖からどのように抜け出すか、深い傷をどのように癒すかということについてのお話」。

 

Michela Murgia, Ricordatemi come vi pare(好きなように私のことを思い出してね), Mondadori, 30 aprile 2024

昨年亡くなったミケーラ・ムルジャの新刊。

ムルジャが生前最後の夏、一週間かけて友人であり編集者であるベッペ・コッタファーヴィに自分の幼少期について語ったことが本書の中心だそう。そのほか、4つの短編や、失われていたテクストも収録。


 

<日本語の本のイタリア語訳>

Kei Aono, Le libraie di Kichijoji, Einaudi, 16 aprile 2024

碧野圭さんの本で、おそらく『書店ガール』のイタリア語訳。原作はどれかなと探しているときに、この本についての著者へのインタビューを見つけた。インタビューでは、単行本として刊行したときには舞台となる場所の名を明記しなかったが、文庫化するときに「吉祥寺」としたとあって、それがイタリア語のタイトルにも使われているのがおもしろい。やはり固有名詞は難しい。

翻訳はBruno Forzan さん。

それにしても、日本の書店と猫関係の本はよく海外で翻訳される。

以上です。

イタリアの新刊 2024年4月その一

おばを訪ねて吉祥寺へ。案内されて久しぶりの井の頭公園へゆくと、平日の昼間だというのにたいへん賑わっている。さまざまな国籍の人たちがいるもよう。池の周りを歩きながら、おばから、懸垂をできるようになりたいから特訓を始めた、という話をされる。これまでの懸垂をやろうと思ったことが一度もないと答えると、「そもそもぶらさがることが難しい」と教えてくれる。池の周りの道からはずれたところに鉄棒があり、そこで特訓の成果を見せると言うのでついていく。逆上がりなどを行うためのふつうの高さの鉄棒だが、足を折り曲げてぶらさがってみせてくれる。六十代のおば。あなたもやって見てと言われ、やってみたらちゃんとぶらさがることができて、「すごい、さすが若い」とほめられる。四十代のわたし。

そんな四月の上旬に気になったイタリアの新刊。

 

Giulia Sara Miori, La ragazza unicorno(一角の娘),Marsilio, 3 aprile 2024

ドキッとする表紙なので、下のリンクをクリックして出版社のページを見てください。

この著者、2021年にRacconti Edizioniという出版社から短編集Neroconfettoを出してデビューしており、そのときも表紙がなんとなくよくて買って読んだのだった。ちょっと奇妙でちょっと意地悪、ちょっと残酷でちょっと滑稽な物語が淡々と書かれていた。岸本佐知子さんが好きそうな感じ。
今回の作品は初の長篇だそう。
誕生日の2022年1月27日18時41分、事務所を出たカッターネオ氏は二人の男に誘拐される。目を開けると、そこは真っ白な場所で、白い服を渡される。二人の男はいかにも誘拐犯というかっこうで、帽子にサングラス、口には煙草。二人はカッターネオ氏に質問をする。仕事、好み、5年前に別れた妻、感情生活、性生活について。カッターネオ氏はなぜか恐怖を覚えることなく質問に答え……。

現実がフィクションに溶け込む、カフカブルガーコフのあいだのような作品とのこと。「誘拐されても自分の内面を見つめることができない人たちに」という謎めいた紹介文。


La biblioteca di Raskolnikov. Libri e idee per un'identità democratica(ラスコーリニコフの図書館:民主主義的アイデンティティのための本と思想), Einaudi, 9 aprile 2024

民主主義は常に危機にあるが、現在進行している権威主義化を止めるためには堅固な民主主義的意識が必要。作家のNicola Lagioia、文献学者のLuciano Canfora、元判事のGustavo Zagrebelskyら8人の知識人たちに、現在のこの混沌とした状況に立ち向かうために必要な本について語ってもらう。

とても西洋的な本のように思った。


 

Gian Arturo Ferrari, La storia se ne frega dell'onore(歴史にとって誇りはどうでもいい), Marsilio, 9 aprile 2024

ファシズム政権下の出版社を舞台にしたミステリー。

大手出版社の編集長であるアンチファシストのルイジ・バッセッティ。彼はつねに鞄の中にある原稿を入れて持ち歩いている。誰にも見せず、誰にもその存在を明かさないが、例外が1人いる。彼の右腕であり、また恋人でもあるドナテッラ・モンディアーノ。彼女にだけはそれとなくその存在を伝える。しかし実はドナテッラは秘密警察の高官に脅されスパイをさせられているのだ。警察は原稿がファシズム政権、そしてムッソリーニを脅かすものであることを恐れる。バッセッティが一見事故と思われることが原因で亡くなったあと、ドナテッラの中に激しい怒りが湧き、彼女は真実を知ろうとする。

本を刊行する者たちと、本を焼く者たちのあいだの曖昧模糊とした関係が描かれる作品だそう。著者は大学で歴史の教鞭をとりながら、長く出版社(特にモンダドーリ)で働いてきた。

 

Crocifisso Dentello. Scuola di solitudine(孤独の学校), La nave di Teseo, 9 aprile 2024

著者自身が中学時代にうけたいじめの記憶をめぐる作品(エッセイか)。

自著の紹介イベントが終わると、男が近づいてくる。高校時代の同級生、ワルターだった。久しぶりの再会を機に、かつての記憶が蘇る。虐待的な父、過保護すぎる母、学校では家の貧困や文学への情熱が理解されずにいじめの標的となる。ワルターとの友情が孤独から助けてくれたが、しかし最後に衝撃的な真実が明かされる。


 

Milena Agus, Notte di vento che passa(過ぎ去る風の夜), Mondadori, 12 marzo 2024

今回一番気になったのはこの作品。これまでnottetempoからしか作品を出したことのなかったMilena Agusが、初めてべつの出版社から本を刊行。しかもMondadoriなんて大手からなのが意外。

コジマという女性の18歳のときのお話。

小さなころから本が好きで、本の中に生きてきたコジマ。夢見がちな父と、働いて家族を養う母。家族で村からカリャリに移住し、そこで通いはじめた高校で、先生から、カルヴィーノシェイクスピアやデレッダを友だちのように思うこと、そして書くことを勧められる。あるとき、かつての村に戻るとそこで、羊飼いの青年に出会う。「嵐が丘」のヒースクリフのように美しい青年で、コジマは激しい恋に落ちる。コジマは「木のぼり男爵夫人」のようにして生涯を木の上で過ごしたいが、現実が許してくれない。そして地面に足をつけ……。

 

<日本語からイタリア語への翻訳>

Asako Yuzuki, Butter, HarperCollins Italia, 16 aprile 2024

柚木麻子『BUTTER』のイタリア語訳。表紙が原書よりも日本っぽい。翻訳はBruno Forzan さん。

 

Mahokaru Numata, Segreti di famiglia, Atmosphere Libri, 20 aprile 2024

沼田まほかるさんの作品の翻訳のようだが、情報が少なくて、原書がどれがかわらない。映画化された『彼女がその名を知らない鳥たち』か。翻訳はFabio Ciatiさん。日本語の翻訳をふだんはされていない方のよう?

動きだす

 風呂場の壁と天井のさかい目に、蜘蛛がいる。

 いるな、と思いながら、一週間、二週間経ち、すると蜘蛛の表面を白いもやもやしたものがおおいはじめ、これはカビだろうか、と思いながら一週間、二週間経ち、ついに決心して蜘蛛を取り払うことにする。

 トイレットペーパーをちぎり、背伸びをして、白いもやもやごと蜘蛛をつかむ。

 と、とつぜん手の中にサササという動きを感じ、驚いてトイレットペーパーを放りだす。

 息をついて、風呂場の床に落ちたトイレットペーパーをそっと持ち上げて見ると、蜘蛛はまだトイレットペーパーにしがみついている。トイレットペーパーごと、ベランダに置く。

 動きがなくても、カビが生えても、生き続けている、ということにちょっと感動する。

イタリアの新刊 2024年3月その二

 選びに選んで、ひさしぶりにイタリアのオンライン書店に本をまとめて注文した。カード側の問題で注文の確定ができないというトラブルがあり、カード会社に電話してそのトラブルを解消し(危険を察知して買い物を停止したとのこと)、さらには在庫ありの表示をしていたが在庫がみつからないという本を先方が探して諦めるのに数日かかり(ねばってくれた)、けっきょく注文してから発送までだいぶ時間が経ったが、発送されてからはたった3日で到着。早い。

 キャンセルとなってしまったのはAragnoから出たRitratti di filologi。去年の12月に刊行された本なのに。人気で売り切れということもないだろうに。出版社に直接買えないかと連絡したが返事なし。ibs, Amazon, AbeBooksで購入できない場合、どうしたらいいのだろう。現地の知り合いに頼むしかないか。

 ところで届いた箱を開けたら、Claudia DurastantiのLa sranieraが二冊入っていたのに驚いた。なぜ? 注文履歴を見ればもちろんその本は二冊注文されているのだ。あれだけ円安を気にして厳選して注文したというのにさ。

 遅くなってしまったが3月下旬に気になったイタリアの本(3月より前の刊行のものも含む)。

 

Stefano Ciliberti, Quel vecchio rasoio ancora buono. Storie dal Medioevo per capire il presente(あの古いカミソリはまだ使える:現代を理解するための中世史), Dedalo, 16 febbraio 2024

現代と中世の共通点やつながりに注目し、「暗黒時代」という中世のイメージを払拭し、西洋の近代社会の土台をつくった時代として中世を示そうという歴史書。 現代の金融危機が13世紀のそれといかに似ているか、オッカムと、エンリコ・フェルミやAIをつなぐものとは?

著者の経歴がおもしろくて、物理学で博士をとり、2021年にノーベル賞を受賞したジョルジョ・パリージと協力したのち、数量ファイナンス(?)の分野でキャリアを積み、世界各国を旅して、科学にかんする本をたくさん出し、その後大学で中世史を学んだらしい。中世史家としてはこれがデビュー作か。

 

Cesare Segre, Diario civile(シヴィル・ダイアリー), Il Saggiatore, 15 marzo 2024

文献学者、記号学者、評論家のチェーザレ・セグレへのインタビュー集。コッリエーレ・デッラ・セーラ紙で1988年から25年にわたって行われたものを収録。ユダヤ人であったことから戦中はナチに追われ、解放による大きな安堵を得たという個人的な記憶から、教師、言語学者として考えてきたことなどセグレのさまざまな顔が見えるインタビュー。

編者のPaolo Di Stefanoさんはコッリエーレ・デッラ・セーラの文芸記者で、私が目にとめる記事はよくこの方の署名がついている。おそらくこの方がインタビュアーだったのだと思われる。


Alberto Capatti, Storia del panino italiano(パニーニの歴史), Slow Food, 27 marzo 2024.

副題「一口サイズの不滅の幸せ」。

パニーニなんていう素朴な食べ物の歴史について本を一冊書けるとは考えたこともなかったが、本書は、食文化の歴史家が、軽やかだけど的確な言葉でそのテーマに取り組んだものだそう。

 

 

Paolo Valoppi, Mio padre avrà la vita eterna ma mia madre non ci crede(父さんは永遠の命を持つはずだけど、母さんはそれを信じない), Feltrinelli, 5 Marzo 2024

奇妙なタイトルで、とても気になる小説。

8歳のパオロは、サッカーとポケモンマクドナルドのハンバーガーが好きな男の子。パオロの暮らしには奇妙な存在がともなっている。それはエホバ。パオロの父さんはエホバの証人なのだ。一方で母さんはフェミニズム関係の本を扱う書店をやったり、今は文学を教えたりと、父さんの神のことには一切の興味を示さない。どうしてこんなにも違う二人がいっしょに暮らせるのかということもパオロにとっては不思議。父さんを大好きなパオロは父さんの神を信じるが、しかし大きくなるにつれ、父さんのことは好きなのにその神を信じることができなくなってくる・・・。著者の小説デビュー作であり、自伝的小説だそう。

著者は、出版社Einaudiの編集者でもあり、先日ここで紹介したPaolo Repettiさんと同じく、Stile Liberoシリーズを担当してるそう。

 

Giovanni Doddoli, Volpe e cacciatori(狐と狩人), Polistampa, 22 marzo 2024

副題「15年の長い歴史」

いつもここで取り上げる本とは毛色が違うけど、気になった。

イタリアに生息する唯一のキツネのアカギツネ(vulpes vulpes)について、15年にわたる調査をまとめた本。生物学的な知識を提供するほか、さまざまな狩猟方法の分析を行い、この動物と人間の関わりについての理解を深める。狩人を対象とした本。

 

<日本語からイタリア語への翻訳>

Rin Usami, Il mio idolo in fiamme, E/O, 6 marzo 2024

宇佐見りん『推し、燃ゆ』のイタリア語訳。翻訳はGianluca Cociさん。タイトルを直訳すれば「火の中の私のアイドル」。うまい。

 

以上です。

イタリアの新刊 2024年3月その一

 ハナニラムスカリハナダイコン、ボケ、ユスラウメ。この半月のあいだに咲きはじめた花たち。はじめはあの花もこの花も、と心を弾ませていたけれど、じょじょに焦るような、おいてけぼりにされているような気分に。

 3月上旬に気になったイタリアの本たち(3月より前の刊行のものも含む)。

Silvia Cinelli, L'elisir dei sogni(夢の妙薬), Rizzoli, 6 febbraio 2024

副題「カンパリのサーガ」。

イタリアの有名なリキュール、カンパリ1862年にガスパーレ・カンパリがこのリキュールを作り出し、1867年にはヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアにカッフェ・カンパリをオープン。作家や政治家、創刊されたばかりのコッリエーレ・デッラ・セーラの記者たちが集う場となった。ガスパーレの突然の死をうけ、事業を寡婦のレティツィア、そして息子のダヴィデとグイードが引き継ぐ。カンパリ一家の物語とミラノの歴史。

 

Valentina Furlanetto, Cento giorni che non torno(閉じ込められて百日),  Laterza, 1 marzo 2024

副題「精神障害、抵抗、自由の歴史」。

精神障害者を病院から解放したフランコ・バザーリア。本書は、バザーリアの人生を描くと同時に、バザーリアと同い年で、近くに暮らすローザという女性に光をあてる小説らしい。ローザは自動車事故により精神を病み、病院に閉じ込められる。大量の薬、電気療法、人権の不在。二人の人生がパラレルに描かれる。

今年はフランコ・バザーリアの生誕100周年。


Claudia Durastanti, Missitalia(ミッシタリア), La nave di Teseo, 5 marzo 2024

19世紀半ば、工業化する街に暮らすアマリア。20世紀半ば、若き人類学者のアーダ。そして21世紀半ば、新しい世界を求めて宇宙船に乗るA。イタリア南部バジリカータを拠点にして300年の時を超えてつながる三人の女性を描く小説。

時代のスケールはだいぶ違うけれど、上田岳弘さんの『私の恋人』を思い出した。今回いちばん気になった作品。注文した。


Giorgio Agamben, Il corpo della lingua(言語の身体), Einaudi, 12 marzo 2024

副題「Esperruquancluzelubelouzerirelu」。

またアガンベンの新刊。半年に一冊くらいのペースで新刊がでるので、春の花くらいに私を焦らせる。

本書は、ラブレー、そしてラブレーに影響を与えたと言われているイタリアの詩人フォレンゴらがえがいた巨人たちと、その身体よりも異常な言語について論じるもののよう。この二人にとって、言語とはもはや概念をしめす記号ではなく、見て、触れて、感じることのできる身体そのものである。

副題は『ガルガンチュアとパンタグリュエル』からの引用と思われる。

 


<イタリアの本の邦訳>

ピエル・パオロ・パゾリーニパゾリーニ詩集【増補新版】』(四方田犬彦訳、みすず書房、2024年3月1日)


今回は、めずらしく日本の本からのイタリア語訳の刊行が目にとまらなかった。

Radio 3, L'isola deserta にエイナウディの編集者パオロ・レペッティさん出演

 2月24日のRadio3のL'isola deserta(無人島)の放送回がまたとてもおもしろかった。2月4日の放送に続き、ふたたび出版社の人がゲストだった。今回登場したのは、イタリアでもっとも有名な出版社エイナウディの、編集者パオロ・レペッティさん。レペッティさんは、エイナウディでStile Liberoという叢書を立ち上げ、現在もその統括をしている。

 話題が多岐にわたり、固有名詞がたくさん。おもしろい話が盛りだくさんだったので、できるだけここに書き留めておきたい。以下レペッティさんのお話から。

・自分には、編集者をやるか精神科の患者をやるくらいしか選択肢がなかった(じっさい、今も精神科の患者はつづけている)。

・大学に居残りつづけたあと、28歳のとき、作家のVincenzo Ceramiを通じてBeniamino VignolaやMalcom Skeyらに紹介され、創設されたばかりの出版社Theoriaに就職した。

・Theoriaは小さな出版社だったが、古典、科学史の刊行と、新人小説家の発掘に力を入れた。Marco Lodori、Sandro Veronesi、Sandro Petrignani、Sandro Onofriら、のちにほかの大きな出版社で小説の刊行を続け、やがて文学賞を受賞するような作家たちのデビュー作を世に送り出した。

・当時、若手作家というカテゴリーはマスコミの注目を集めており、新聞や雑誌社が25歳から35歳のあいだの新人作家を求め、誰かいい若手はいないかと問い合わせてくることが度々あった。

・最近では若手作家についての意識が変わり、純粋に作品の質が問われるようになった。

・その後自分はエイナウディに移り、Stile Liberoというシリーズを立ち上げたが、そこでも新人作家の小説や古典をテーマにした評論を刊行している。

・2023年にStile Liberoから出たBeatrice Salvioniのデビュー作Malnata(邦訳『悪い子』関口英子訳、新潮社、2024年2月)は、イタリアで刊行される前に、フランクフルトのブックフェアにおいて、企画書ベースで世界の28の出版社から版権が買われたという稀有な例である。

・2024年1月刊行のEmanuele Aldrovandiのデビュー作Il nostro grande niente(僕たちの偉大なる無)は、死んだ男が、自分と結婚するはずだった女性の人生を語るという物語で、人間の代替可能性を男性の視点から語っている。

・2024年2月には、Eva Cantarellaの"Contro Antigone(反アンティゴネー)"を刊行した。アンティゴネーは、ポリスの法律を犯して自分の兄を埋葬し、そのかどにより捕えられ、ついには自害したという悲劇のヒロインと目されてきたが、これまで自分はアンティゴネーには反感を抱いてきた。そして最近、首相のジョルジョ・メローニがインタビューで、自分自身のことを強権に対するアンティゴネーであると述べているのを読んだことから、アンティゴネー反対の本を出すべきタイミングと思った。著者のCantarellaとは、アンティゴネーの致命的なまでの融通のきかなさに対する反感を共有していたので、よい本になってよかった。

・編集者と精神科医の共通点は、繊細な人物(患者、作家)を最大限理解してよりそおうとするところにある。自分が編集者として仕事にあたるときは、精神科医の側になる。

・Stile Liberoをともに立ち上げたSeverino Cesariは、ときに気難しいこともあったが、自分にとっては岩のように頼り甲斐のある人だった。彼が亡くなったとき、ありがたいことにまわりに優秀な編集者たちがいたので、彼らにできるだけまかせて自分は裏から支えることにした。

・現在のイタリアの出版界がどうかと考えたとき、市場は大きく変化したが、技術の発展は、映画や音楽を変えたほどには本を変えていないと思う。電子書籍もあるが、それは紙の本の機能をデジタルで提供しているだけ。ホメロスの時代から、物語の深い部分は変わっていない。

無人島に持っていきたい本は、カフカの『変身』とメルヴィルの『書記バートルビー』。この二つの作品には響き合うところがある。『変身』でザムザは虫になることで、家父長制的なものから逃れる。一方バートルビーは、I would prefer not to(自分が好きなGianni Celatiの翻訳ではaverei prefenza di no)と言いながら、資本主義、生産から逃れる。放棄、断念が響き合う。

無人島に持っていく映画は、これまでの人生で観てきた映画のトップに入るわけではないが、最近もっとも衝撃を受けた『哀れなるものたち』をあげたい。

・音楽については、センスがないので、勉強をしないとわからない。あるとき、ジャズの歴史を勉強したので、ジャズを持っていきたい。ルイ・アームストロング

 

 以上がレペッティさんの話のおおむねのところ。

 キアラ・ヴァレリオからは、Beatrice SalvioniのMalnataに関して、「くだらない議論だけど」との前置きとともに最近ニュースになったあるできごとが紹介された。ローマのある高校が、この小説を生徒たちと読み、作家を招くというイベントを企画したところ、暴力的なシーンがあるという理由で反対する親が出てきたということだった。このできごとを踏まえて検閲についてどう思うかとレペッティさんに問い、レペッティさんは、自分は言語に対するいかなる押し付けに対しても反対であり、検閲は文学を殺すと述べた。けっきょくこの高校では、ほんの数人の親が反対しただけで、それもすぐに取り下げられたそう。

 

 ながく出版にたずさわってきた人の話は、どうしてこんなに楽しいのだろう。人と人のむすびつきが見えるような気がするからか。このあと3月9日放送の回にも、もっぱら北欧の小説を扱う出版社Iperboreaの創設者が登場していて、こちらもじっくり聴いてみようと思う。