エルド吉水『龍子』(リイド社, 2023/9/14)

 九月一四日、エルド吉水さんのRYUKOの日本語版が刊行された。

 

 つねひごろあらゆる情報に疎いたちなのだが、めずらしくこマンガ・この著者の存在については一年以上前に知ったのだった。昨年四月、イタリアで行われた日本のマンガフェアの関連サイトにEldo Yoshimizuという名前を見つけ、知らない名前だなーと思いながらその絵を見て、こんなふうにツイートしていた。

 

 念のため、わたしとは逆にめざとい友だちに確認してみたが、知らない、気になる、ということだったので、これは掘り出し物に違いない、とEldo Yoshimizu氏の作品のうち、RYUKOというタイトルの二巻もののマンガをイタリアのオンライン書店で注文した。長い黒髪、すらっとした四肢の女性が拳銃を持つ姿が印象的な表紙だったのだ。

 一ヶ月後、到着。段ボール箱を開けて、ほくほくと本棚にしまった……そして一年経過。この度日本語版の第一巻が出るということなので、発売日にジュンク堂に買いにいき、そして読んだ(日本語だとすぐ読める)。その勢いで、邦訳がまだない第二巻をイタリア版で読んだ(勢いが出ればイタリア語でも読める)。

 龍子、かっこいい!

 ぐっときたのは、その肩甲骨。肉のないしなやかな背中にすっとひかれた線の肩甲骨が美しい。あまりに絵がきれいで、一方物語の展開は早くて、通常のマンガだったら、十巻分にはなるようなエピソードが数ページで展開されて、物語を書くよりも、龍子ら美しい人物たちを描きたいだけなのかしらと途中ちらっと思ったりもしたが、読後振り返れば、それは間違っていた。龍子の生い立ち、経験、倫理観、それらが彼女の表情に刻まれていて、だから怒った表情ばかりを見せる彼女が美しいのだった。それぞれのコマ、ページの濃度が濃く、凝縮されていた。週刊や月刊というペースではなく、長い時間をかけて制作された、マンガという体裁をとった作品と考えたらいいのかもしれない。物語について言えば、アフガニスタンの少年の活躍に胸を熱くした。「カブール」じゃなくて「カーブル」と表記しているところにも丁寧さを感じる。

 よく見ると、室内に置かれている家具がイサムノグチのローテーブルだったり、ヴェグナーのシェルチェアだったり。すると、わたしは詳しくないからわからないけれど、バイクや車もなにか有名なものがこまかに再現されているのかもしれない。ハイヒールの裏面のアップには、ブランド名が見える。

 邦訳がまだ出ていない第二巻の物語についてはここでは書かないように気をつけるが、一つだけ気になったことに触れると、大きな男性が、赤ワインのボトルを右手と左手にそれぞれ一本ずつ持ち、それらを同時に一つのデキャンタに注ぐというシーンがあって、かっこいい、しかしこれはなんのパフォーマンスなんなのだろう、カクテル? と不思議に思った。あとで見つけたイタリアのマンガフェアでの吉水氏の対談の動画を見ると、ちょうどこのシーンについての説明があった。イタリアのウンブリアに行ったときに、建物の外でイタリア人たちと食事をすることがあって、そのときシェフがまさにこうやってデキャンタにワインそ注いでくれたそうだ。

www.youtube.com

 このインタビューによれば、マンガ冒頭に描かれたフルセーヤ中央駅は、ミラノの中央駅を参考に描いたそうで、マンガ全体にイタリア的ものがだいぶ詰め込まれているらしい(イタリアのマンガフェアで行われた対談からリップサービスもあるかもしれないが)。

 

 最後に日本での刊行の経緯について。「日本の商業誌で公開されるのは、今回が初めてとなる」という紹介がいろいろなところでなされている。しかしわたしが昨年の四月に上記のツイートをしたときには、高い値ではあったがメルカリで日本語版が販売されていた。今改めて調べてみると、まんだらけでの当時の販売情報が見つかる。このページよれば、最初はギャラリーでの展示という形で連載され、ある程度まとまったところで上巻が刊行、書き下ろしで下巻が刊行されたらしい。小部数での販売だったようだ。

 メルカリに売られていたのは、おそらくそのうちの一冊だったのかと思う。その後、この小部数で売られていた作品にフランスの出版社が目をとめてフランスで刊行、フランスでの評判を受けてドイツや英国やイタリアなどなどの国で刊行され、そして日本での刊行に至ったということのようである。

 どこかで似たような話聞いたことが・・・。ゴリアルダ・サピエンツァのL'arte della gioia刊行の経緯と少し似ているのだ。サピエンツァは七〇年代の終わりに作品を書き上げ、すぐにイタリアの出版社に持ち込むも刊行に至らず、著者亡きあと、夫が自費出版したものがドイツ・フランスの出版社の目にとまり、それぞれの国で出版され、特にフランスで好評をはくし、原稿を書き上げてから約三十年、二〇〇八年にイタリアのエイナウディ社から刊行されたのだった。

 フランスの出版社、フランスの読者というのはえらいな、と思う。偏見にとらわれない審美眼がある、新しいものを恐れない、そしてよいものを素直に褒める人たちなのだろうか。ところでイタリアのオンライン書店のサイトでは、RYUKO以外にもEldo Yoshimizu氏のマンガが売られている。今度は心安らかに、それらの日本語版の刊行を待とう。