レシピの懐

 このごろ、家にあるdancyuのバックナンバーを読むのにはまっている。

 家には全号がそろっているわけではなく、毎号買っていた時期もあれば、まったくない年もあり、夏に組まれるカレーの特集についてはほぼ毎年買っていたりと、歯抜けながらそこそこのボリューム。

 その中から適当な年の、今より一ヶ月先の号を読む、ということをしている。つまり八月にはバックナンバーの九月号を、十月の今は、バックナンバーの十一月号を読んでいる。

 一ヶ月先の号を読むと、ちょうど今の季節に合う。でもバックナンバーなので、勢いやノリのようなものが今と異なる。季節は今なのに、時代が異なるという絶妙なノスタルジーに浸れる。そして時代を超えて食べたいものが見つかる。

 先日は、スンドゥブチゲのレシピが気になった。玉ねぎとネギの青いところをざくざく切って、鰹だしで煮て、唐辛子の粉とおろしにんにくを入れて、最後に豆腐を加えて煮て……と割とかんたんそうなのだ。

 朝食前に散歩をしていたら、ぐんぐんそのスンドゥブチゲを食べたくなり、家に戻ってくるなりスンドゥブ作成にとりかかる。

 粉唐辛子は韓国産のものを使うよう指示があり、スパイス棚を開く……。ない。瓶の姿は覚えているが、見つからない。それで、あきらめて、というのはスンドゥブチゲをあきらめるのではなく、韓国産をあきらめて、冷蔵庫にあるインドのチリパウダーを使ってみることに。

 今思えば、この辺りから雲行きが怪しいのだが、そのときのわたしはスンドゥブまっしぐらなので、止まらない。見かけ上、とてもおいしそうなスンドゥブが出来た。食べてみると、かっらーい、にっがーい代物。

 散歩したのでいつも以上にお腹がすいているが、口にいれると唇と喉がひりひりする。そして苦い。食べたいが痛苦い、痛苦いが食べたいというジレンマに陥りながら三分の二ほど残して断念。

 念の為だが、dancyuが悪いわけではない。レシピは「要の粉唐辛子は韓国産を」と、ここが要であることを示している。

 そういえば、別の料理本に出ているカブのあえものを作ったときも、かぶの鮮度が悪かったせいか、おいしくできなかったことを思い出す。

 レシピには、少々食材の質が悪かったり、少々材料が違ったり、少々手順が異なっていたりしてもそれなりにできるものと、ずれると一気にまずくなるものがある、と仮説を立てて心を鎮める。レシピの懐、許容度、包容力を考える。